2015年11月28日土曜日

推敲はしよう

サーバを購入して設定しただけで満足してしまい、稼働させながら長く放置していた。
冬になって暖房をつけたらブレーカーが二度落ちて、そしたら、なんとなぁくDNSを使っていたためにインターネットができなくなり、電源の落ちた我がサーバの存在に気がついた。
ちょうど、研究室のwebスペースに研究メモ用のwikiを置こうとしていて、だけれどもOSが少し古いとかでうまく動かず、自由に使えるサーバが欲しかったところ。
というか、もともと自由に使うために設置したのだった。
そういうわけで、ネットワークとかの設定を見直して、それらのメモもぐちゃぐちゃっとなってたけれど整理して、/bootがいっぱいになってたので古いカーネルを削除して、ようやくクライアントから見えるようになったところで、夜が明けてきたよ。

ところで、後期の生活があまり芳しくない状況だ。
出張が多いときはまだわかるけど、そうでない日も自堕落になって、課題がたまり、書類がたまり、洗濯物がたまり、鬱憤がたまる、と書こうとしたら、不平不満のことをいうらしく、自分のやってることに当てはめる言葉としてはいささか遠い。
実際、目覚ましもろくにかけず、起きたあとになって一日の予定を立てるもんだから、時間を増やそうとする意思がないと言っても、過言ではない。

生きる目的とは。(こうやって、すぐにスケールを広げたくなる。)
生活するのに必要な、諸々のことができていないときに、その目的が薄い、もしくはないからだ、と結論すれば何も考える必要がなくて簡単だ。
しかし、ここまで生きてきたんだからうまく回しているときもあったわけだ。
そこでなにか目標をもっていただろうか?生きる意志などというものを自分の中に感じていただろうか?
たとえば、ちゃんと他の人と同じようにしていれば高い確率で修了も就職もできることになっている。だからちゃんとしようと思えただろうか。
そうではなく、ただ社会がそうしているからそれに従おう、できなければ、なにか全体的に動きにくくなる、という、目の前のものから飛んでくる感覚で考えていて、その先に何が起こるかを、もちろん知らないのだが、想像しようともしていなかった。
つまり、状況の悪いときにしかでてこない目的とかいう未来は、現在を正当化するために、根本的で改善不可能な原因を求めようとする心性の作り出した幻想だったんだよ!ナ、ナンダッテー

しょうもないことを書いていたら7時になりそう。

2015年6月27日土曜日

仙台は遠く

スライド作りが終わらない。
そんなときには、なおさら別のことがしたくなるよね。
たとえばブログとか。

今週の頭から、共同実験の会議のために出張している。
数年後の開始に向けてハードウェア・ソフトウェア・物理の各分野で研究が進められているが、それぞれの現状と計画を議論しメンバーで共有することが目的である。
私は発表せず、聞いたり運営を手伝ったりするだけ。

国際共同なので進行はすべて英語。
来るのはもう3回目だが、少しでも気を抜いたりすると主題も分からなくなる。
スライドで理解を補おうとしても、分からない言葉に囚われてしまうとあっという間に置いていかれる。
いい英語の練習だ。

自分の研究を本格的にスタートさせるために、この機会に共同研究者3人でミーティングをした。
だが他の2人の話のペースにあまりついていけなかった。
質問してもかなり基礎的な説明を求めてしまうし、一番問題なのは、勉強してきたはずのことをどれくらい分かっているかが説明できないことだった。
別に外国人の研究者と話す機会もあったのだが、そこでもこのことが妨げになり、困らせてしまった。
日本語ですらうまくいっていないのに、英語で説明できるはずもない。

5日目にもなると大体何を話しているかくらいは掴めてくる。
ただ、英語の上達よりは、そこで使う同じ単語を聞いていることが大きく寄与していると思うのだが。

会議は5日間で終わり、土日の2日間は学生の勉強会がある。
日曜には僕も研究発表することになっている。
こないだのポスターを転用するので、そのときほどの負担ではない。
しかし、自分で書いたことに自信が持てず、うだうだやっていたら前々日の夜になってしまった。

明日は1日、別の学生の発表を聞くのだが、起きていられるだろうか・・・

2015年6月14日日曜日

びわこ

高エネルギー春の学校という、高エネルギー実験に関わる大学院生や教員が集う勉強会があった。場所は琵琶湖がすぐそこの研修施設で、ここに2泊しながら講義と研究発表を聞いていた。僕自身も2日目にポスター1枚で研究紹介をした。

1ヶ月前の時点では、物理的モチベーションすら十分に理解できてなくて、とても発表できるレベルじゃなかった。同じ立場の多数の学生に見られるというプレッシャーが、僕を強く焦らせた。

とりあえず今までに飛び飛びでしか目を通していなかった論文を読み直した。参考文献のアブストで意味が満足にわからなければ本文も初めから読むなど、さらに丁寧に読んだ。複数の論文で共通する部分があれば、特に丁寧に理解しようとした。

それでも自信がないときは、恥を忍んで先輩や先生に質問した。やっぱり忙しそうな雰囲気を感じながらも、自分のことを最優先させてもらった。その場で迷惑を避けているようでいて、結局大迷惑をかけたのが卒業発表だったから。

以前は、論文などで使えそうな情報を見たとき、ルーズリーフを使ってメモを取ったり、Evernoteの別々のメモとして保存したりしていて、あちこちに知識を散在させていた。そうすると、1つの事実を見たときに、それが既知であるかどうかを考えたりその根拠を辿ったりすることに割く労力が大きく、論文を読む効率がかなり悪かった。

そこで、あとから参照する地点を明確・コンパクトにすることにした。短い情報は1つのノートにまとめ、ばらばらにあった複数枚のノートには番号をつけて、インデックスを作った。例えば、以前に読んだ論文の要旨を確認したいときは、インデックスを見てその番号のノートを取り出せばいい・・・書いてみると当たり前だ。

そんなことをしてはきたが、ポスターは結局、作成に取り組み始めたのが3日前、先生に内容を確認してもらったのが出発の前日、印刷したのが数時間前と、かなりバタバタとした格好になってしまった。別のレポートもその日に書いて出したし、電車も駆け込み状態だった。

形にこだわりすぎるのが僕の悪い癖で、上のインデックスやポスター作りなどの方法を長時間考えてしまって、内容と向き合う時間が短い。あとは他の用事を際限なく入れたり、帰る時間も決めずにダラダラしたり。現実逃避してるんだろうなあ。

2015年1月13日火曜日

Macでロケール環境変数を設定しようとした話

せっかくUbuntuサーバに日本語パッケージを入れたんだから、Ubuntu本体のシェルでは日本語入力できなくても、Macからsshで繋いで使えればいいだろうと思っていた。
Apple Terminalではクライアント側にシェルがあるので、Macの日本語入力メソッドがそのまま使える。
ちなみに、X11環境もあるのでxtermなどでも日本語を入力したかったのだが、サーバ側に日本語入力メソッドを導入しようと数日のあいだ奮闘して、挫折した。
とりあえずTerminalだけで我慢することにしたが、入力とは別に、一つ気になる点があった。
それはログイン時の言語設定だ。

Ubuntuでは、LANG=ja_JP.UTF-8とすると、dateコマンドやvimなど各ソフトウェアの表示が日本語になる、ことがある。
サーバ本体では日本語が文字化けしてしまうので、.bashrcにもLANG環境変数を特に設定せず、クライアント側で調整することにした。
(実は、シェル情報で条件分岐することにより、別のマシンだけ日本語にすることができるのだが、クライアントの言語環境を無視するのが気に食わず、グローバル化にこだわっている。)

2015年1月4日日曜日

Ubuntu Server 14.04.1 LTSのセットアップ(作成中)

サーバ機にUbuntuをインストールしたときのメモ。
バージョンによって自動的に入るパッケージが異なるので、設定方法が参考にしたサイトと多少違うこともあった。

環境

サーバ機:XS35V2
  • Atom D525(64-bit CPU)
  • ドライブ:120GB SSD、1TB SSHD
  • メモリ:4GB DDR3 SO-DIMM
  • 端子:USB2.0、Ethernet
  • 外部インターフェイス:ディスプレイ、キーボード
クライアント機:MacBook Pro (13-inch, Mid 2012)
  • Mac OS X Yosemite (10.10.1)
  • LAN内
  • X11
ルーター:Aterm WR8160N

2015年1月2日金曜日

2015

年が明けた。
仙台に来てからは、この時期に高くなる高速バス代を惜しんで帰省せず、アパートでテレビを見たりしながら年を越している。
今年は、去年と同じように、ガキ使と紅白とを切り替えながら、NHKで寺々を眺めながら2014年を終えた。
平成は27年目、自身も24年目で、20という数字に生きてからの年月の経つ速さが信じられない。
そういえば、干支も、2周して未年に戻ってきた。
僕はなぜか、亥から始まって戌で終わるように干支を覚えている。他人に言うと語呂が悪いなどと言われるが……

去年を思い返すと、空っぽのような1年だったように感じてしまって残念だ。
特に印象に残っていないのは、出来事がなかったからではなく、日常の捉え方に感受性がなかったからだろうと思う。
Twitterなどのログを見ると、ただぼんやりと思いつくことを呟いては、タイムラインを目に通して、またそんな生活を嘆くことに日々を費やしている。
毎日同じ言動を繰り返し、その日にあったはずの独自性を無視していて、そこには思考の積み重ねが見られない。
腹中には常に、期待か失望かのどちらかがあり、ときに数日、数ヶ月同じ対象にそれらの感情を引きずることがあった。
「期待」の字面は健全であるが、僕にとってそれは感情を固定化する言い訳の主役であり、きわめて否定的な概念である。
たとえば院試に合格するかしないかも、重いテーマだった。
僕の中にあるのは、はっきり言って病的な精神で、心の底から腐っているのだが、腐っている心自身では治療しがたいだろうから、より変えやすいだろう生活と身体の面からアプローチするほかになさそうだ。
おそらくは、期待と失望の帰結として共通する不安というものが、感情の中心にある1年だった。
12年、10年も同様の年だったので、どうやら1年おきの現象らしい。
今年は希望があるかもしれない。


先にも述べたが、絶望的な感情と無関係に、出来事はいくつかあった。