2015年1月2日金曜日

2015

年が明けた。
仙台に来てからは、この時期に高くなる高速バス代を惜しんで帰省せず、アパートでテレビを見たりしながら年を越している。
今年は、去年と同じように、ガキ使と紅白とを切り替えながら、NHKで寺々を眺めながら2014年を終えた。
平成は27年目、自身も24年目で、20という数字に生きてからの年月の経つ速さが信じられない。
そういえば、干支も、2周して未年に戻ってきた。
僕はなぜか、亥から始まって戌で終わるように干支を覚えている。他人に言うと語呂が悪いなどと言われるが……

去年を思い返すと、空っぽのような1年だったように感じてしまって残念だ。
特に印象に残っていないのは、出来事がなかったからではなく、日常の捉え方に感受性がなかったからだろうと思う。
Twitterなどのログを見ると、ただぼんやりと思いつくことを呟いては、タイムラインを目に通して、またそんな生活を嘆くことに日々を費やしている。
毎日同じ言動を繰り返し、その日にあったはずの独自性を無視していて、そこには思考の積み重ねが見られない。
腹中には常に、期待か失望かのどちらかがあり、ときに数日、数ヶ月同じ対象にそれらの感情を引きずることがあった。
「期待」の字面は健全であるが、僕にとってそれは感情を固定化する言い訳の主役であり、きわめて否定的な概念である。
たとえば院試に合格するかしないかも、重いテーマだった。
僕の中にあるのは、はっきり言って病的な精神で、心の底から腐っているのだが、腐っている心自身では治療しがたいだろうから、より変えやすいだろう生活と身体の面からアプローチするほかになさそうだ。
おそらくは、期待と失望の帰結として共通する不安というものが、感情の中心にある1年だった。
12年、10年も同様の年だったので、どうやら1年おきの現象らしい。
今年は希望があるかもしれない。


先にも述べたが、絶望的な感情と無関係に、出来事はいくつかあった。



まず春先に4年生配属の研究室が決まり、8月に院試、9月に研究室の引越しがあった。
学生のほとんどが知らない人なので馴染めるか心配だったが、何度もご飯に連れて行ってもらったりして、打ち解けてきたように感じる。

アルバイトは、模試採点と大学図書館をやった。
前者は短期間のもので、4年間何度かやってきた。
空き時間に好きに組み込むことができたので気楽だった。
後者も働きやすい。
立地も理学部に近いし、昼間の労働なので授業の少ない日を使うことができる。
カウンター作業で得意でない対人の経験を積め、図書館全体の設備的・運営的構造を見渡すいい機会になっている。

フォークダンスサークルでは、3年の冬で引退となったにも関わらず、1年間通して参加した。
春の合宿では講習と手本を担当して、新歓イベントにも全参加、週2回の例会には8割出席という始末。
若い人からすると、はた迷惑なことだったろう。
現役生の提供する場を享受するばかりの姿勢になってしまって、4年生として十分に支援できなかったことが、個人的な心残りだ。

ピアノサークルは、全体のイベントにあまり参加しなかったのが残念。
そもそもピアノを弾かなくなってしまったのもあるが、毎週ある練習会に顔を出さなかったために、新しい人たちと知り合うことができなかった。
学年では何度か集まっていて、誕生日を祝ってもらったのが嬉しかった。
年末に、卒業旅行第1弾として東京で遊んだのが、年内で最も楽しかった記憶の一つだ。

サークルには3月で会えなくなる友人も多く、寂しくなる。


今年の予定を確認したい。

研究室では、2月に卒業研究の発表会があり、問題がなければそのまま研究を続ける。
夏に募集しているCERNのプログラムに参加するために、同時に英語の口頭スキルを身につけなければならない。

サークルでは、2月末にピアノの演奏会とFDのパーティーがある。
演奏会ではもう1年以上弾いていないので、出られるように毎日練習を重ねよう。
3月にはピアノの方の卒業旅行でグアムに行くのが楽しみ。FDの同回とも旅行に行きたい。

春にはアパートを越すことにした。
早めに準備しないと、手続きが卒業発表と被りそう。


年が改まったことを契機に、現状もまた改めたい。

思えば、手段が目的となったことが多かった。
たとえば、研究室に所属してから、Evernoteなどを使って情報を一元的に保存してみたが、保存や整理をすること自体に労力を奪われ、目指したような活用に至らなかった。
ただ読んだから、読みそうだから、とそこに置くようになってしまっていた。
するべきだったのは、その情報を利用するシチュエーションを思い浮かべ、最も引き出しやすい手段を考えて配置することだ。
常に目的を見据えて考える。
難しいことではあるが、まず意識的に実践しよう。

また、やること為すことがあまりに無計画だった。
院試対策で、短期間にとにかく詰め込むという勉強をしたので、目の前の問題が解けるまで取り組む集中力は向上した。
しかし、研究ではいきなり何もわからない課題を与えられ、自分で調べる格好となり、解法がいつでも参照できる試験勉強とは大きく変わった。
そうなると、読み進むうちにわからない概念が次々と出てきて、その概念を調べているうちに1日が終わることも少なくない。
(ここで、せっかく調べたことをメモせず記憶せずで、何度も調べ直すこともあった。
 1つ前の段落で述べたように目的を見失っていたのと、詰めが甘いのである。)
セミナーの準備だと、そんな方法ではあっという間に期限が迫り、妙に完璧主義なところも併せて、夜中まで帰宅しないことが毎週のことだった。
それなのに、蓋をあけてみると、説明は1行1行止まるし、手順もめちゃくちゃで、全体として結果の質が悪かったと思う。
隣に座る先輩方や先生に質問するという手もあったし、限りある時間にどれだけの量をこなすかを決めておけば、妥協してセミナーで解決し、効率よく進められただろう。
視野を広く持って、時間を大きな区切りで捉えて臨めるようにしたい。
いつかやる、という判断も、いつやるか決めてないからこそ起こる考えで、スケジュール管理を必ず伴うことにしよう。

目的意識・時間管理の2つに絞って、1年間頑張りたい。
投稿したら、まず目標を立てて、スケジュールを作ろう。
それでは、良い1年を。

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