2014年11月9日日曜日

結婚式に行きました

8日は高知にいる親戚の結婚式がありました。
昼に横浜の実家から羽田へ向かい、飛行機で人生初の四国。
といっても降りて式場に直行したので、印象に残ったことなんて、仙台よりかなり温かいことくらいです。

意外と道路が混んでいて、始まる直前に到着し、家族とともに前から2列目に座りました。
前ではヴァイオリンとオルガンで、定番ながらG線上のアリアとパッヘルベルのカノンが演奏されたところで式典スタート。

まず白いスーツに身を包んだ親戚の新郎が背後のドアから入り、拍手で迎えられながら華やかなオルガンの演奏の中、前まで歩いてきて新婦を待ちます。
結婚式というものに出席するのは2回目だったのであまり知らずに、新婦も同じように迎え入れるんだろうと思っていたのですが、今度はヴァイオリンの、どこか叫んでいるような演奏が始まり、父親と一緒にウェディングドレスの花嫁がゆっくりと入場。
入ってすぐの所で母親によってベールが下げられるのを見た瞬間に、ああ、この人は今まで家族や旧友に大事にされてきて、それが遠い地へ嫁いでいく、離れていくんだなあと、うまく言えないのですが感極まっていきなり泣きそうになりました。
祝福と同時に、とても深い悲しみを見ているような気分でした。

式が終わるとすぐに披露宴で、最中にはプロジェクターで2人のいきさつや友人からのお祝い、思い描いている家族像が映し出されました。
僕がそこに感じたのは羨望と、圧倒でした。
夫婦それぞれが自分の生きがいのために臆する様子もなく自立的に活動してきたこと、相手や友人との深い信頼関係、そこから生まれる幸福を素直に受け止める能力・・・どれをとっても敵わないと感じました。
それはさておき、ウェディングドレスもお色直しした着物もとても綺麗で、これを大切な人に着せられることにかなり強い憧れを抱きました。
なんだかバラバラな文章になってしまいましたが、2人の幸せを応援したくなるような一日でした。

2014年11月7日金曜日

朝から魚を焼いている

1日1食の日が増えたにも関わらず1ヶ月の食費が変わらないことから、自炊のモチベーションを上げようと、3日前の夜にスーパーで買い物をした。
こういうときに買ったものの一定の割合は、そこにあることも忘れて後日ミイラとなって冷蔵庫から発見されるのだが、魚を家で食べてないからと自分に言い聞かせて、特に値下げされているわけでもない100円くらいのアジも手にとった。
総額2000円で、提示すれば3%オフになるカードを家に忘れたことをレジで気づいて、泣く泣く60円を手放した。

連日の夜更かしがたたり、昨晩は10時になる前に寝て、朝は6時に起きた。
珍しく早起きとなったので、消費期限を6時間すぎてはいたが、アジを焼いてみることにした。
ブログの記事にするほど、ふだん調理をしていないのである。
実際、魚を焼いたのも1年ほど前に一度蒲焼きを作ったきりで、4年目のグリルはその人生で2回目の着火を被ることになった。

「はじめての料理」とかいう本(なぜか自宅には初心者用の料理本が2冊ある)を見ながら、エラと内臓をとって洗った。
こういう処理も小学生のとき体育教室で行ったサマーキャンプ以来で、新聞紙がどんどん赤黒く染まって行くのを見て、食べられる部分が果たして残るのかを心配していた。
心なしかその目が悲しんでいるようにも見えた。
社会の闇を隠すように、内臓の乗った新聞紙をくるんで捨て、両面に塩を振ってグリルで焼いた。
その結果がこれである。
料理本通りにやったおかげで、見た目は期待より整った。
そこと差異があるとしたら、それは「丁寧に」とか「4〜5分」とかグリルの型番とか、その曖昧な表現のせいであり、論文としては失格である。
ちなみに論文ではない。
アジの味は、やはり古いせいか少し臭みがあったが、塩の加減がちょうどよく、おいしく頂けた。
以上が今日の朝ごはん。手が臭う。