2014年12月19日金曜日

通帳コンプリート

今日は銀行に用があって、取引時間ギリギリに行ったのですが、ついでにATMで通帳を記入することにしました。
開いてみると残り1行しか空きがなく、どうなるのかなと疑問に思いつつ入れたら、「通帳を新しく作っています」との表示が。
通帳作るのって、窓口でいろいろ書類書いたりして手続きがめんどくさいのだろうと思っていたので、自動で作れるんだ!と感動しました。
新しい通帳が出てくるのをワクワクしながら待っていましたが、どうも時間がかかる。
記帳の音も止まってるしどうしたんだろうと思ってたら、表示が「係員が参りますのでしばらくお待ち下さい」に変わった。
まさか機械と人間の連携プレーだったとはなあ。
しみじみ考えていたら職員の人に窓口に呼ばれ、5分ほどで通帳をくれた。
言うことには、通常は自動で作られるんだけど、名前の漢字が特殊で、表に印字できなかったためこうなったらしい。
見るとたしかに口座番号と名前が手書きになっていた。

この類のトラブルは今まで幾度となく体験していて、例えば携帯のアドレス帳に登録するときとか、学生証とかではその漢字をカナにしてもらったりする。
入学時の学生一覧でも一人そんな感じだったので、韓国から来たと思われていたらしい。
最近あったこととしては、大学にある成績等証明書の自動発行機で、こないだJRの学割証を発行しようとしたら学生証を通しても個人情報を認識されなかった。
窓口で40分ほど待って得られた答えは、1年ほど前にシステムが変更されて、データベースの名前(漢字)と学生証の名前(一部カナ)が一致しないと発行できず機械で対応できないので、発行を希望するときには毎度窓口で手続きしなければならないとのこと。
面倒というほどではないのだが、成績や健康診断の結果を参照するときにそれを人に知られるのはあまり好きではない。

2014年12月17日水曜日

ネーミングセンスforコンピュータ

Ubuntuをインストールするとき、まずホスト名を何にするか聞かれます。
よく分からないけどあとで変更すればいいや、と適当に設定したら、作業中に一行一行ユーザー名とともにホスト名を目にすることになって、すぐに後悔。
/etc/hostnamesと/etc/hostsを編集して変更したのはいいんだけど、あちこちに元ホスト名の名前がついたディレクトリを発見。
幸先よくない気がしたので、インストールもあまり思い通りにならなかったし、とそのまま再インストール。
今度はこれでいいだろう、と身を落ち着けて、さっきまで文字化けと戦っていました。

実はホスト名とドメイン名の関係がよくわかっていませんでした。
ホスト名と言っても、ドメインまで含むFQDNを指すことが多いんですね。
メールサーバのホスト名も適当に設定してしまったし少し不安。
そんな中、ホスト名の命名規則に関するRFCを見つけました。Wikipediaからのリンクで。

RFC 1178
なんだか読みやすかったので最後まで読んでしまいました。
ホスト名の付け方について、勧められない場合、勧める場合を列挙しています。
勧められない場合に結構当てはまってて、自分のネーミングセンスにショックを受けました。
ただ注意するべきなのは、想定しているシチュエーションが、「オフィスに多数のマシンが並んでいる」場合のようなので、僕のように1台しかない場合や、ノートPCを持ち運んであちこちのネットワークに繋げる場合だと話が少し違ってくることもあると思います。
でもやっぱり参考にできる部分はあります。
あと、英語のままだと参照しにくいと思ったので、簡単に日本語でまとめておきました。
以下にあります。
暇かと言われそう。

サーバ機

僕のホームページを置いているサーバは今実家にあるんだけど、24時間つけっぱなしだと夜の騒音がひどく、電気代もかさむ上に、遠くにあるPCをメンテナンスするのは手間がかかって、一番のメリットのカスタマイズも思うようにできない。
ということでサーバを先月頭に購入した。
ShuttleのXS35V2に120GBのSSDと1TBのSSHD、4GBのメモリを取り付け。
参考にしたのは山本昌志先生のページ。参考にしたというよりはそのままパクった。
実家にいるときにネットで一式を注文した。メモリが何年か前に見たよりもずっと高くなってて驚いた。
ちょうど仙台に帰ったころに届き、2日くらいで組み立てた。
組み立ててる途中に、ディスプレイ(テレビ)に繋ぐ方法がないことに気づいて、VGAケーブルをヤマダ電機で購入。
翌日組み立ててから、今度はキーボードがないことに気づいて、またもやヤマダ電機で購入。
〆て35530円也。

そしてUbuntuをUSBメモリからインストールして、この1ヶ月でやったこと・・・
さっき、コンソールの日本語文字化けを英語環境にすることで解決しました。

Linux環境に早く慣れるようがんばります。

2014年11月9日日曜日

結婚式に行きました

8日は高知にいる親戚の結婚式がありました。
昼に横浜の実家から羽田へ向かい、飛行機で人生初の四国。
といっても降りて式場に直行したので、印象に残ったことなんて、仙台よりかなり温かいことくらいです。

意外と道路が混んでいて、始まる直前に到着し、家族とともに前から2列目に座りました。
前ではヴァイオリンとオルガンで、定番ながらG線上のアリアとパッヘルベルのカノンが演奏されたところで式典スタート。

まず白いスーツに身を包んだ親戚の新郎が背後のドアから入り、拍手で迎えられながら華やかなオルガンの演奏の中、前まで歩いてきて新婦を待ちます。
結婚式というものに出席するのは2回目だったのであまり知らずに、新婦も同じように迎え入れるんだろうと思っていたのですが、今度はヴァイオリンの、どこか叫んでいるような演奏が始まり、父親と一緒にウェディングドレスの花嫁がゆっくりと入場。
入ってすぐの所で母親によってベールが下げられるのを見た瞬間に、ああ、この人は今まで家族や旧友に大事にされてきて、それが遠い地へ嫁いでいく、離れていくんだなあと、うまく言えないのですが感極まっていきなり泣きそうになりました。
祝福と同時に、とても深い悲しみを見ているような気分でした。

式が終わるとすぐに披露宴で、最中にはプロジェクターで2人のいきさつや友人からのお祝い、思い描いている家族像が映し出されました。
僕がそこに感じたのは羨望と、圧倒でした。
夫婦それぞれが自分の生きがいのために臆する様子もなく自立的に活動してきたこと、相手や友人との深い信頼関係、そこから生まれる幸福を素直に受け止める能力・・・どれをとっても敵わないと感じました。
それはさておき、ウェディングドレスもお色直しした着物もとても綺麗で、これを大切な人に着せられることにかなり強い憧れを抱きました。
なんだかバラバラな文章になってしまいましたが、2人の幸せを応援したくなるような一日でした。

2014年11月7日金曜日

朝から魚を焼いている

1日1食の日が増えたにも関わらず1ヶ月の食費が変わらないことから、自炊のモチベーションを上げようと、3日前の夜にスーパーで買い物をした。
こういうときに買ったものの一定の割合は、そこにあることも忘れて後日ミイラとなって冷蔵庫から発見されるのだが、魚を家で食べてないからと自分に言い聞かせて、特に値下げされているわけでもない100円くらいのアジも手にとった。
総額2000円で、提示すれば3%オフになるカードを家に忘れたことをレジで気づいて、泣く泣く60円を手放した。

連日の夜更かしがたたり、昨晩は10時になる前に寝て、朝は6時に起きた。
珍しく早起きとなったので、消費期限を6時間すぎてはいたが、アジを焼いてみることにした。
ブログの記事にするほど、ふだん調理をしていないのである。
実際、魚を焼いたのも1年ほど前に一度蒲焼きを作ったきりで、4年目のグリルはその人生で2回目の着火を被ることになった。

「はじめての料理」とかいう本(なぜか自宅には初心者用の料理本が2冊ある)を見ながら、エラと内臓をとって洗った。
こういう処理も小学生のとき体育教室で行ったサマーキャンプ以来で、新聞紙がどんどん赤黒く染まって行くのを見て、食べられる部分が果たして残るのかを心配していた。
心なしかその目が悲しんでいるようにも見えた。
社会の闇を隠すように、内臓の乗った新聞紙をくるんで捨て、両面に塩を振ってグリルで焼いた。
その結果がこれである。
料理本通りにやったおかげで、見た目は期待より整った。
そこと差異があるとしたら、それは「丁寧に」とか「4〜5分」とかグリルの型番とか、その曖昧な表現のせいであり、論文としては失格である。
ちなみに論文ではない。
アジの味は、やはり古いせいか少し臭みがあったが、塩の加減がちょうどよく、おいしく頂けた。
以上が今日の朝ごはん。手が臭う。

2014年9月25日木曜日

まもなく後期

今日は研究テーマを大まかに決めて指導教員に伝えた。
素粒子衝突実験の解析研究。
これから学部を卒業して修士号を得るまでの2年半、このテーマに向かうことになる。
何を目指そうとか何を成し遂げようとか、今だって少しも具体的にイメージできていないし、他に実験機器の設計という選択肢もあった。
使命感も持ちあわせていないため、いっそ鉛筆を転がして決めてしまおうかとまで考えていた中で、話を聞かせてくれていた先輩の付け加えた一言が小さくも決定的な光になった。
「人前で発表する機会も多いけどね。」

別に人前で話すのが好きなわけではない。むしろ大の苦手だ。
しかし、それを克服できたとして、随所で行われる会議に出席する、そこで同じ研究をしている人と交流する機会を与えられると聞いて、世界が一気に広がったような心地がした。
全く知らない人と出会う気は起きないが、ある繋がりを辿って外に出ることには強く心を惹かれる。
未知のことを効率的に取り入れるには、新しいところに行くのが一番だ。
四六時中、閉塞した思いに囚われていた自分にとって、この可能性は大きな存在に感じた。

次々と新しいところへ・・・と言うと、現実に対して飽きやすい性格なのかもしれない。
実際、一つのことに長く興味を持ち続けたことは稀だ。
せっかく外に出たのに、そこがすぐに外と感じられなくなるようではもったいない。
よく言われることだが、 いつでも帰ってこれる場所を作っておこう。そうすると、どこにいても拠点とその地点との関係を考えて、場所を変えるたびにリセットするのではなく、収穫を家に積み上げていくことができる。
足場を固めるには外だけに目を向けていてはいけない。離れても荒廃しないくらいに耕し、内的な位置づけのために自分自身との繋がりを強靭にするべきだ。

言うことがコロコロと変わっていそうで、筋も通っているか不安。
要するに、外に行く機会を存分に活かすために、中での準備を周到にしておくといいという話だ。
また、抽象表現に逃げてしまった・・・

2014年9月11日木曜日

院試を終えて

夜中に目が覚め、そのまま迎えた朝。

8/25に大学院入試の筆記試験、翌日に面接試験、翌々日が発表だった。
自身の手応えは、筆記がまあまあ、面接が最悪、といったものだったが、研究室の希望者が定員を下回っていたからだろう、内定を受けることができた。
この4月からはいきなり過去問を解いて演習していたのだが、全科目に対して理解度に不安があったので1ヶ月前になってから教科書を読みなおしてまとめる作業に取りかかっていた。
1週間前になるまでの緊張感・集中力と、論理を知った後の演習、そもそもの過去の授業態度が欠けていたことが反省点。
試験に間に合わず補いきれなかった知識があることが不満で、終わった後も勉強を続けようと試みたが、明確な目的も失って、すぐに挫折してしまった。
面接では、志望動機のような簡単な質問にさえも説得力に欠ける返答をしてしまった。
もし内部進学でなかったらここで落とされていただろう。
答えを準備していなかったわけではないのだが、その内容の精査と共に、順番などの説明の構成も練る必要があった。
考えながら話すことが苦手であるからこそ、用意は充分なものにするべきだった。

院試後はひとまず夏休みになった。
実は研究室では休みとなっていないのだが、教員の出張で研究テーマが決まらず、またゼミも できないので、何もない日がいくつかできた。
まずは試験勉強を名目に放置していた部屋を片付け始めた。
あと高知から届いて冷蔵庫に数ヶ月入れていた小夏20個程度を使ってジャムを作った。
普段の怠け癖が祟って皮むきもままならず、作るのに6時間以上かかった。

月末には高校の友人が東北でのインターンを終えて遊びに来た。
2本の足しかなく遠くへは行けないということで、せっかくの休みにも関わらず大学へ行くことにした。
しかしその日は土曜で建物が施錠されていて入れず、工学部は外観を見るだけに。
ついでに研究室も見ようということで行ってみたらドクターの先輩が作業していた。
お昼時だったこともあってどこかへ食べに行こうという話になり、その自動車に乗せてもらって定義山へ。
名物の三角油揚げを食べて、西方寺の中をぐるっと回って、また油揚げを食べた。
この味は飽きない。
それからニッカのウィスキー工場まで連れて行ってもらって、レンガ造りの建物を見学し、試飲もした。
ウィスキーを飲み比べたのは初めてで、香りや味がこんなにも違うのかと驚きだった。
ドライバーである先輩はかなり悔しがっていた。
翌日は同じ友人と松島に行った。
実を言うと新歓などでも行ってて5回目くらいだったのだが、出会い橋とも呼ばれる福浦橋を渡った先の島で砂浜に降りたり周回したりするのは初めてだった。
あとどうせ出来ないだろうと沈痛な心持ちで海に石投げ(水切りというらしい!)をやってみたら1回跳ねた。まじか。
昼には仙台駅近くで定番の牛たんを食べた。
おすすめの牛たんの店は?」「利久
というやりとりを何回耳にし、また何回口にしただろうか。
食べたこともないけどこの名前を挙げるという仙台の学生も多くいて、舌だけでなく意識までも独占市場の様相を呈している。

先週は映画館へ行ってレイトショーで「思い出のマーニー」を観た。
前回が「風立ちぬ」だったから、ジブリで連続することになる。
あらすじも知らずに観たが、正直初めの導入部分は話が退屈だった。
(夜で眠かった・席がスクリーンに近すぎて目が疲れていた・主人公の名前が後輩と同じだったことで集中できなかったからかもしれない。)
しかしマーニーが出てきてからの2人の親密なやり取りは恋人そのもので、正面から向き合い続けるという点で男女間にも勝るものに感じた。
全体の話としてはあまり感動しなかったが、湖や夜空の描写がよかった。
あと社交ダンスのシーンがあって、いきなりワルツはないだろ!と気を取られてしまった。

昨日から来週にかけて、耐震工事完了に伴った研究室の引っ越し作業。
用具の数も把握せずにレイアウトを設計していたのでメンバーに迷惑がかかる事態になってしまった。
必要な情報を手に入れ、見通しよく計画を立てて実行すること。
これを一人でこなすことがこれからも求められるだろうし、言われずとも精力的に動く姿勢に変えていきたい。

家を出る時間になったので、今日はここまで。

2014年8月17日日曜日

何か書いておこう

大学院入試まであと一週間。
試験が近づくと別のことが捗るのはこの世の真理のようなもので、こうしてブログに手をつけてそれを実証している。

対策のために過去問や演習問題を解いていると、3年半でいかに勉強量が少なかったかを見せつけられる。
あまりに分からないので研究室の先輩から借りた教科書を今更読むくらいで、しかしこれなら学習した当時にやっても全然苦にならなかったろうに、と小学生のときから繰り返してきた後悔をもう一度している。
無事に通るだろうか。
筆記試験の翌日にある面接も心配だ。
具体性に欠けるのが僕の思考の特徴で、実際「『具体性に欠ける』ってどういうこと?」と聞かれてもすぐに言葉にできない。
緊張する。
ブログを書かない言い訳のためにしっかり勉強しよう。

2014年6月28日土曜日

第二稿

「週1以上の投稿を目標に」と言っておきながら1ヶ月半が経過してしまいました。
モチベーションを継続させるのは思ったより難しいですね……。

実を言うと、何か投稿しようと幾度か下書きまで手をつけたのですが、いずれもそこで頓挫しています。
なかなか投稿に至らない原因として、表現力や集中力などが挙げられますが、最も大きなもの。
それは、書きたいことが何も思い浮かばないということです。

考えてみれば、普段の会話では、相手の話に合わせて相づちを打つことがほとんどで、自分から話題を振ることがほぼ皆無といえます。
ツイッターでも、ある一つの事柄について説明しようとするよりも、一、二文の命題で完結させて満足しています。
そんなところに突如何もないところである程度の長さの文章を書こうとしても無理があるのかもしれません。

ではどうすれば書きたいことが出てくるのか。
どの主題も短文で済んでしまうことばかりということは、それだけの中身のある引き出しがない、切り崩す山がない、そこに一つの問題があります。
もしくは、そういった充実している引き出しを求めすぎる——意気込みすぎていきなりハイレベルな文章を書こうとすることが達成する障壁となっています。
気を軽くして臨む主題、最も手をつけやすいのはその日の経験でしょう。
そもそも日記として始めているのですから。
しかしいざ書こうとすると、どういうわけか「ああ……いつも通り朝起きて大学行って勉強して帰宅するだけの日々だ」と思い込んでしまうのです。
でも目を画面から離してぼーっと辿ってみると、一週間でも二度くらいは他のところに出かけて遊んだりしていることを思い出すわけです。
悲観的な性格ゆえに、掘り起こそうとしたときには初めからそう決めつけてしまっているのかもしれません。
あとは、具体的に書くのを拒もうとして、抽象的なことばかり探している傾向もあります。
秘密主義というわけではなく、そのほうが理性的に見えてかっこいい……そんな理由しかないように思えますが、おそらくこの価値観にとりつかれているのでしょう。
抽象の前には具体の集団があることに注意してみようと思います。

今日は「書けない」ということが書きたいことになりました。
まずは何をしたかを説明する練習から始めてみます。

2014年5月8日木曜日

第一稿

祝・ブログ開設。

こんにちは、PlaNetといいます。中学のときからこのハンドルネームを使っています。
大学に通うために仙台に移り住んで今年で4年目です。親の仕送りと奨学金の借り入れで生活しています。
今は素粒子の高エネルギー衝突実験を中心に勉強しています。

ブログを始めた動機

普段何やってるの?などと人から聞かれる度に、項目が何も思い浮かばず返答に苦労することが多いので、何かまとまった形で記録したいと思った事です。
単に記録というとTwitterで埃一つのことから呟いているのですが、あまりに選ばず投稿しているため、短いフレーズからなる有象無象で溢れて大した意味をなさないものになっています。
そちらに興味と時間が無尽蔵にある方は、呟きを記録しているTwilogをご参照ください。
さらにまとまった文章を書く経験があまり多くないので、その練習をすることも目的としています。

これまで

さて、始めたはいいものの何を書けばいいのか分からないというのは万人共通のようですが、まずは軽くweb活動に関する経歴を。
過去に様々なサービスを使ってブログやwebサイトを開設しては閉鎖してきました。
初めてホームページを持ったのが小学4年のときで、ただHTMLも分からず何もできなかったので、既成のホームページを持てる別のサービスにすぐ申し込みました。
1年くらいしてから自分自身のページを作り上げることに興味をもち、少しばかり凝ったサイトにして、知識を収集しては適用していました。
一方で日記も度々公開していて、初めは個人サイトにそのページを作って手で一つ一つ打ち込んでアップロードしていたのですが、なかなか面倒で続きませんでした。
そこで楽天などのブログサービスにも申し込んだのですが、複数の箇所に同時にブログを持つ状況になって、これもやはり続きません。
中学2年になると自宅サーバを稼働させるようになり、webサイトに好きなようにCGIプログラムを置くようになりました。
ゲームや掲示板に混ざって複数ユーザーで使える日記も設置したのですが、今度はその人の作ったプログラムをいじり回すのに意識が行き、肝心の日記を書くことはほとんどありませんでした。
そのサイトも半年で閉鎖となり、 一時的なホームページに置き換えて以来現在まで質素な数ページのサイトに留まっています。
またTwitterは高校卒業後に始めて継続的に投稿しています。
大学受験時に東北関東大震災を経験したときに日記という形でそのときの心の内を記したいと強く思いましたが、結局時間の流れに身を任せて3年後の今までブログ開設すらしてこなかったわけです。
記憶を呼び起こすには長い時間が経っていますが、その話もいつかまとめられたら書きたいと思います。
Bloggerは、投稿のハードルがいかに低いかという基準で選びました。
編集機能は必要十分で、ラベルでカテゴライズできて広告もなく。
気が変わったらまた移るかもしれませんが。

これから

ざっくりですが、このブログでは、日々経験したことや考えたこと、見つけたことなどを書いていきたいです。
なるべく広いテーマから、ただし1つの記事ではなるべくポイントを絞って書けるよう心がけようと思います。
毎日書くのが理想ですが、現実的に週1以上の投稿を目標にしたいと思います。
本稿は最初ということで「です・ます」調ですが、文章構造を明快にするために「である」調で書くこともあります。
たまに英語で書いてみるかもしれません。
人に見せる文を書く練習でもあるので、内容や書き方などに感想や指摘したい点があるときはコメントを貰えると嬉しいです。
質問も含めて真摯に対応します。
それでは乱雑な文となりましたが、どうぞよろしくお願いします。